水没道道732号 上猿払浅茅野線 その1お知らせ今回紹介する道は、猿払村上猿払から浅茅野間を結ぶ道道732号である。【上猿払】大正13年からある地名で昭和3年山火事、昭和11年上猿払原野土地改良計画が樹立してこの年、浅茅野小学校上猿払分校が独立。昭和21年地内に8戸入植。昭和29年台風で甚大な被害があった。昭和47年無人集落となり、上猿払小学校も廃校となった。 ![]() 昭和31年、浅茅野と上猿払間の農道が村道指定。後、豊富と浜頓別を結ぶ道道114号豊富浜頓別線として道道に指定される。 昭和41年に上猿払〜仁達内〜浜頓別間を結ぶ道が完成すると、豊富浜頓別間のメインルートはこちらに移ってしまい、現在の道道84号豊富浜頓別線は下記の仁達内経由となってている。 タイトルにも水没道道と付けたように、この道路は湿地帯を走るため、雨量が多い時は路面が冠水し通行止となることがあり、ラジオの交通情報を聞くと「上猿払浅茅野線」の名前をよく耳にする。 現在でもそんなわけで、昭和30年代道道指定後でも、この道がまともに通れたことはあまりなかったのではないだろうか?。そのために、上猿払から浜頓別への仁達内経由の道ができたのではないか? 浜頓別から道道84号豊富浜頓別線で上猿払までやってくる。 道道732号上猿払浅茅野線へ曲がり口は道道84号が左カーブを切った道に道道732が突当たるようなT字路になっている(1)。
ゲートを越えすぐ、セキタンベツ川をその名通りの石炭別橋で渡る。橋は架け替えられて新しく、道幅も広い。橋を渡ると下り坂になるのだがそこに「冠水注意」(3)
旧上猿払小中学校跡地 上猿払小学校 大 八開校 ・ 昭四七閉校 上猿払中学校 昭二六開校 ・ 昭四七閉校 学校跡を見て、この辺鄙な地域を開拓し生活していた人がいたということ、しかし開拓はうまくいかず離農せざるを得なかったことを考えると、なんともいえない気持ちになるのだ。道内にはこのような場所が多々あるのである。 学校跡のそばには、開拓したであろう荒地が広がっていた(6)。 そんな開拓地跡が広がる中を土盛した道道は進む。やがて2車線あった道は1.5車線へ(7)。 猿払9号線川を沼見橋で渡る。橋は2車線分確保されており、橋は走ってきた道路よりは高い位置に造られている(8)のか、地盤が沈下したのか?
ムメイ川を光明(コウメイ)橋という韻を踏んだ名前の小橋で越えると、道の正面に山肌が現れる(10,11)。
全線を通してこの廃屋だけが唯一残っていた開拓の証なのだ。 道道分岐より2.6キロ。 |
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