ホームページ開設5年が経って お知らせ初代表紙 なぜ故、競走馬なのか??? 早いもので、ホームページを開設してから5年が経つ。 ホームページ(以下HP)を作った2000年頃は、ちょうどインターネットも普及してきた頃。5年前のことですが、ADSLの普及も進んでいなく、ダイヤル回線、良くてISDN回線といった具合。 そんな私も、1999年にiMacを使うようになり、その際、ISDN回線を導入して、夜の11時台から30分くらいちょこっとだけネットをするだけでした。しかし、今のように色々なページがあるわけでもなく、情報量は少なかったですね。ただ、当時としては、それでもすごい情報量だなあ〜と思っていたのですが…。 ホームページを開設する 久しぶりに会った高校の同級生が、日記を中心としたホームページを作っていたことに刺激され、僕でも作れそうだなあってことで、とりあえず、プロバイダーにアドレスを請求したのだけど、作るノウハウも無く、iMacに付属していたHP作成ソフト Page Mill で作るHPの本を買ってきただけで1ヶ月くらい何もしなかった。 それでも、本を読みながら、2000年5月くらいから作り始めて、その当時買ったニコンの当時の高スペックのデジカメ、クールピクス990で撮った美瑛の写真を載せたものをアップロードはしないながらも中途半端なもの作っていた。そして試行錯誤で表紙だけ作ったものの、あまりにもショボ過ぎて、自分だけの世界で友人たちにも黙っていた。 自分の作った作品や、自分の思っていることをなんとなく載せてなんとなく見てくれる人がいればいいなあと、2000年8月20日、ある程度美瑛で撮った写真も増えたことも手伝って、当時はHPの基幹になると思っていた日記スタイルの「ココロのままに」(2021年現在廃止)のページを作ったことで、この日を正式なHP開設日とした。このときは「ココロのままに」と「自分で書いた絵」と「美瑛の写真」という内容だけ。 今、久しぶりに開設当時の「ココロのままに」を読むと、今とあまり変わっていないような…。とにかくこのページを更新させることを楽しみにしてHPがスタート。 そして、すぐ競馬のコーナーを開設。札幌競馬場で撮影した馬たちの写真を載せ始め、その写真を加工したのが、最初のトップページの写真となった。当時強かったトゥザヴィクトリーの馬の自分で撮った写真を載せたいというそれだけだった。 しかしその写真も10日くらいトップページを飾っただけで、写真に文字を入れた自分の書いた絵をトップに置くことに。 そして、秋競馬が始まると、競馬予想のページがスタート。方向性が今と全く違っています。ココロのままにはほぼ毎日更新して美瑛の写真も5日に1回は更新していた。 そうこうしているうちに、11月、iMacが電源切ってあっても、勝手に電源が入ってしまうようになり、修理へ。駅高架下時代のヨドバシへ持って行き、1年前17万8千円だったマックの修理に15万かかるって言われ、修理を断った。修理の見積もりだけで1ヶ月もかかるという状態でHPの更新は出来ない状態が続くけど、はやくHP更新したい。競馬の予想結果だけでも載せたい。という感じ。誰も見ていないし楽しみにもしていないのに…自己満足状態。 マックに見切りをつけて、ウィンドウズのノートPCを2000年年末に購入。まだDVDが標準装備のものは高額モデルだけで、CD-R4倍速が標準モデルだった頃。 ウィンドウズのPCでのHP製作ソフトが無いので、帰ってきたマックを、使わないときはコンセントを抜くというような状態で1ヶ月のHPを更新していくも、職場で、ウィンドウズ版のPage Millを持っている人がいて、使わないからといって譲ってもらって、12月末、ウィンドウズでHPを作るようになった。 自己満足北海道 として独立へ 2001年になると、秋競馬も終わり、ネタ切れになりつつあり、小幌駅に行った様子、夕張の炭鉱住宅のページを作成する。 夕張の炭鉱住宅のページを作った頃から、数少ない産業遺構のものをネットで見つけては自分でも行ってみてはHPに載せたいという気持ちになってくる。 春になると、美瑛巡り、探索も始める。2001年6月に、タウシュベツ川橋梁、石北本線の廃駅となる区間の訪問レポートを載せたころから、HPの方向性がしっかりしてきたような気がする。 上のレポートを作る際、産業遺構に関しては、HPを作ってただ写真を載せるだけのページだと薄っぺらな感じがするので、ある程度調べてから載せることとする。調べられなくても、文章載せてじゃないと意味が無いと自分に言い聞かせて作っていた。 2001年6月ころから、外界にも出て行く。外界とは、他のページの掲示板に書き込み始めたのですよ。鬼峠さんのページに書き込んだのもこのころで、書き込んでもいいのかしら?ってな感じだった(笑)。 そして自分でも、2001年7月、掲示板を設置。見ている人が少ないので書き込む人いない状態だった。 小ネタも増え、プロバイダーの無料分の容量がいっぱいになる前に、これから増えていくであろう観光ガイドにもあまり紹介されない部分の北海道ネタが集まってきたこと、後で書く理由もあり、2001年10月に自己満足北海道として、gooのフリーページで北海道ネタを分家独立させる。 といってもこの頃の自己満足のトップページの1日のヒット数は10前後。 自己満足北海道を独立させ、珍北海道紀行、タイヤ星人、動物警戒標識のページなど企画も実現していきました。 北海道メジャーどころ紹介サイト、詳しいサイトはは色々あるが、世間一般的にB級ネタ、メジャーにはなれないマイナースポットに光を当てて、こんなところもあるんですよ、というページを充実させていこう。いうことを念頭にHP作りが楽しいライフワークとなった。所謂スキマ産業とでもいうのでしょうか。当時、北海道一人旅(ときに車中泊旅)を楽しんでいたが、そのうち更新をさせるのに道内旅行をしているような気になってた。 自己満足北海道は、gooのフリーページも2003年3月にHOOPS!へ移行してその後10月に現行のInfoseekへ吸収されていった。 ホームページでの出会い ページ数が増えていくと、ページの内容に関して幾つかメールを戴き、産業遺構のページを見てかつて住んでいた人が今の状態を知って感謝されたりすることもあったが、ただ廃墟に興味を持ったから詳しい場所教えてとかその類のメールも来たことがあった。HPを見たことによってもらったメールは、基本的に返答していたが、読んでいて無礼だな〜と思うものは返答しなかった。 掲示板で意見を交わしていくうちに、何人かのサイト運営者とも会う機会がありました。最初にお会いしたのはえのページの管理人のえさんです。顔の見えない相手に会うという複雑な気持ちで、2002年4月大通り駅で待ち合わせをして今は無きうおや一丁南2条店(駅と場所違うかも)でお話した。そして意気投合、ドライブへ行くようになった。彼に刺激されて道路のページを作ったのはその年の年末からだった。 他にも、ドライブの途中、当時釧路に住んでいた北海道観光大全の管理人鬼峠さんに会い、大いに刺激されたのだった。 2002年末くらいの自己満足北海道トップページの1日のヒット数は20前後です。 他にも、いろいろな方にお会いして交流を深めていく。いろいろな仕事をしている人がいて面白かった。 北海道から道外へ 2003年4月より、祖父の事業を継ぐため北海道から移住した。北海道を去ってからは更新が滞るのですが、ネタを探しに、北海道に行くのを楽しみに仕事をする現在。 道外転居は前々から判っていたので、北海道だけのページを作りたいというのも、自己満足北海道のページ独立のきっかけだった。 2004年8月頃の己満足北海道トップページの1日のヒット数は30前後。 2005年8月現在の自己満足北海道トップページの1日のヒット数は50前後。 ホームページでの楽しみ 知らないうちにHP紹介(大きなところで)されていたことは、思わずニヤリとした。 2003年秋、インフォシークiswebマガジン 第76号達人が選ぶオススメ・ホームページ! 今回のテーマは「北海道」で紹介された。これはメルマガで、インフォシークiswebトップページにランダムで2週間ばかりリンクされていたので、このときは1日の自己満足北海道トップページの1日のヒット数は350〜600前後もあり、1日20人程度が訪れていて殆ど動くことの無かったカウンターが壊れたかと思った。巨大サイトに載る(紹介される)というのはいろいろな人に見てもらえるんだな〜と思いましたが、掲載されなくなってすぐカウンターの数が戻ってしまった。リピーターにはならないことをちょっと考えさせられた。 1年後2004年秋、@nifty:デイリーポータルのトピックスとして珍北海道紀行が1日だけ紹介されていて、このときはヒット数が800近くあった。 その他、知る限りではヤフーニュースにも楓駅、釧路町難読地名でもリンク貼られた様子。 こういうことが判るのは、アクセス解析があるからだが、すべてのページには付けていないので他にも紹介されている可能性はあるかもしれない。 アクセス解析見ているのは楽しく、詳細には判らないがどんな所から見ているのかがわかり、ああ会社サボっているな〜、学校から見ているのね〜、役場(市町村のリモートホスト)でも見ているとか想像でき…。どんな検索ワードで見てくれているのかも知ると楽しい(いまはできなくなった)。 私としては、自己満足北海道のページは、ひっそり、検索で見つけてこんなネタあったのか…とニヤリとしてもらえれば良いという気持ちで作ってきていたので、ヤフーやインフォシーク等にサイト登録や自分から売り込みはしませんが、紹介されるというのは嬉しいことだった。今もニヤリとしてもらえれば良いという気持ちがあるので売り込みはしないです。ただ、他の方々の掲示板に書き込む際はちょっとは宣伝してしまうこともありますけど。 また、写真の提供を求められることも3件ほど、1件は言ってきておきながらその後音沙汰なしだが、嬉しいことではある。ただ、私の写真が勝手に使われて、あたかも自分で撮影したかのようにしているのを見たことがあるので、そういう行為はやめて頂きたい。 まあそんなところですかね。 「ココロのままに」も日記のブログ形式が流行ってきていますが、今のところ現行のままでマッタリ行きたいです。 開設して5年経ちましたが、これからも細く長く更新を続けていきたいと思う所存。 |
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