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ギャラリー

こんなところ走りました 

      
 

鹿追〜屈足間の旧道道お知らせ


国土地理院 新得 昭和34年4月30日発行の5万分の1地形図である。



googleの現在の地図と比べると、屈足と鹿追の間の幹線道路は付け変わっているのがわかる。今回はこの地形図に表記されている時代の道を2007年に進んでみた。
地形図には、昭和43年に廃止された、根室本線新得駅から分岐して、河東郡上士幌町の士幌線上士幌駅までを結んでいた北海道拓殖鉄道(拓鉄)が描かれている。 新道はちょうど、十勝川沿いから拓鉄の熊牛トンネルがあった上を越えて然別川付近で合流する。

レポートでは、鹿追側から屈足へ向かったルートの旧道区間を紹介する。

鹿追市街から道道133号音更新得線を新得方面に進み然別川を渡り、T字路が2つ続く2つめが旧道(1)。走行した際は、通り過ぎてしまった…。 道は2車線道路で、そいう工事は道路工事をしていた(2)。然別川の段丘を登るのだが、坂道はここはコンクリート舗装であった(3)。

(1)(2)

(3)(4)
坂を登りきると、平地が広がり、道もアスファルト舗装、直線的な道となる(4)

然別川と十勝川間の台地を直線的に走る(5,6)。

(5)(6)

(7)(8)
何箇所か交差点を過ぎ、T字路の標識が見える(7)。T字路で突き当たりの道は現在が無いのか?もしくは廃道化されたのか?と(7)地点では窺ってしまうが、交差点まで進むと、直進する道があるので、T字路ではなく、十字路である。ここが町境となり、交差点に「清水町」の白看板がある(8)。
これは恐らく、この道が鹿追と屈足を結ぶ主要道路だった名残なのだろう。

行政が鹿追町から清水町変わると舗装路ではなく、道幅も狭くなった砂利道のやや急な坂道となる(9、10)。

(9)(10)

(11)
(12)
高台から、今度は十勝川へ降りていく道となるのだが、途中木の切れ間から良い景色が見られた。
坂を下り終わると、正面に丁字路が現れる(11)。

左折すると、産廃?土石?、ダンプの出入りがあり、右折するとそこに、コンクリートの遺構が残る(12、13)。コンクリートの遺構は、この道が北海道拓殖鉄道の築堤をくぐっていた名残で最初に出した地形図にも記載されている。

(13)(14)

来た道が主要道だったからこそ、アンダーパス化されていたのでしょう。しかし、断面が狭いのと、勾配の改良化で、新道が建設されたのであろう。 ま、この遺構を知っている人は知っているのでしょうが、上記の地形図を参照してこの道を進んだわけなのだが、遺構なんて無いものと思ってきたので、「鉄道廃線跡を歩く」の北海道拓殖鉄道のページには紹介されていなかった遺構発見出来たのは収穫であった。 道路拡幅のため築堤は壊され、遺構の横に道路が伸びている(12)。 遺構の反対側の車を止めた(14)裏は廃道となっていた。 この撮影をしていると、ダンプが結構な速度で横を走って行った。


(15)(16)

道は少し進むと、橋がある(15)。これは1987年に完成した水力を利用した熊牛発電所がある(16)。この道水の先には、屈足ダムがある。

(17)(18)


やがて道路は、道道133号音更新得線にぶつかる。 上記の地形図では、この先に点線の道が書かれているが、現在は正面に農家がある(17)。
この交差点横には、石碑があり(18)、 静岡縣小笠群朝比奈村出身 増田庄作翁工頌徳記念碑 熊牛校長鶴田鐡男謹書(字間違えているかもしれません) と書かれている。
きっとこの地域を開拓した人なのであろう。

路面★★☆☆☆
景色★★☆☆☆
2007年10月走行

ナビゲーション

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