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ギャラリー

珍北海道紀行 ROADSIDE HOKKAIDO

      
 

カナディアンワールド お知らせ

1990年代初頭のバブル時代にカナディアンワールドは、赤毛のアンの舞台であるカナダのプリンスエドワード島の19世紀の雰囲気をそのままに、と芦別市の山中に華々しくオープンした。
オープンして何年かは、北海道ではテレビやラジオCMも流れ、当時の僕は高校生ながら行ってみたいなあなんて思っていたのであった。

当時芦別には、芦別レジャーランド(北の京芦別)も北海道初モノレールを謳い文句にCMも流れ、芦別イコールテーマパーク、という図式が何となく僕の中ではあった。
時は流れ、バブルがはじけて間もなく1997年?、富良野、美瑛らの観光ルートから外れたリピーターの出ないこのテーマパークは、開園して10年もたたずに潰れてしまった。そして暫くしてから市の公園として開放されたのである。まあバブルがはじけなくても経営は厳しかったでしょう。

2002年8月の夏休み中の平日のある日の10時ごろ、このバブル遺産カナディアンワールドを訪問した。

園内に何があるのか判らなかった為、全部は廻っていないレポート。 北の京芦別の横を通るやけに立派な国道452号を未開通の美瑛方面に向かい、芦別温泉を過ぎて暫くするとカナディアンワールドがある。

 

「Welcome to canadian warld 大自然につつまれた カナダの旅を お楽しみください」と書かれたゲートがあり、そちらの方向に進むとやたらと広〜い砂利の敷き詰められた大きなスペースが現れる。そのスペースは最初なんだか理解できなかったが、まもなく駐車場であることを理解した。だって1台も駐車していないんだもの。

そしてそこを突っ切り、正門近くに駐車する。公園正門そばにはの案内板がある。

 


正門前には、パーク内を循環していたと思われるSL型の車が展示されて、その裏には閉鎖されたトイレ、有料中はパーク内を画像を流していたであろう映らないテレビがある。また、掲揚台がカナダの州の数のたしか17本?あり、パークが繁栄していた頃は州旗がなびいていたのであろう。
正門では入場料金表に無造作の手書きで「入園無料」、閉鎖されたトイレに対して「トイレは園内にあります」と書かれている。
無料化に当たってお金がかけられないのはわかるが、字にやる気を感じることは出来なかった。

 

正門を抜けるとすぐにケンジントンと書かれた建物)、その脇には無料化になってから芦別の画家の有料美術館(7)がある(園内の案内では美術館となっているが、絵には値札もついており販売を目的としているので有料画廊といったほうが適切のような気もする)。



ここを抜けると、眼下には広大な草地に点在する建物が作り上げる景色がなかなか良い。



この草地一面に花が咲き乱れていれば、これはかなり良い景色となり、ファーム富田を上回る観光スポットとなるのではないだろうか?と一瞬本気で考えてしまう。開園当初はきっと見事な景色だったのかな?土も悪いし管理に莫大な費用がかかることは間違いが無いのだが。
通路中央には時計台があり展望も出来るが、入口には大きな蜘蛛の巣が…)。ここで右方向に行くと循環式の水路跡がむなしく残っている。


雑草もある程度伸びていて、木々の剪定はされていない。水が流れて花が咲き乱れているときはさぞかし綺麗だったであろう。

 

時計台に戻り、左側に行くと簡易郵便局跡なんかもある商業ゾーン跡が残っている。坂を降りていき、屋根が無いイベントホールを通り、線路を渡る。線路は汽車が一応は走っているようだが、訪問時は汽車の姿は何処にもなかった。きっと車庫で眠っているのだろう。線路を超えると、そこにはメインの商業ゾーンがある。

 

商業ゾーンではお店をやっているようだが、訪問時は2軒?ほどが開いているだけであった。広場となっている場所には、稼動はしないだろうメリーゴーランドがあった。  商業ゾーンを過ぎさらに坂を下ると、カナダには似つかない謎のピラミッド型構造物があるが、ピラミッドらしく入口は固く口を閉ざしているのであった。正に神秘(乾笑)。

 

ピラミッドはオープン時はアンティーク物が展示してあったらしい。 ピラミッドの先には温室と何故だかライブハウスがあり、その先には青い建物がある。この青い建物はカナディアンワールド裏口になっていて、この建物を過ぎると雑草の茂った空き地が広がっていた。無料公園となった現在はこの入口は使われていないようだ。空地は駐車場だったのであろう。先ほどの駐車場と合わせると一体何台くらい駐車できるのだろう。まず満車になったことはないのではないか?



この入口には、開園当初の値段ではなく値下げしたであろうパスポート料金が書かれている。が、手書き具合が、値下げ時が何時だったかわからないがこのテーマパークの行く末を語るような前出同様綺麗ではない字で書かれていた。 このあと来た道を戻って、丘を上り駐車場までいくとかなりの距離があったように感じた。正門と裏口の往復で約1時間ちょっといたが、駐車場には僕の自動車のみが停まっているだけであった。要するに、僕が訪問したときは僕しか客がいないということである。

これにてレポートは終わりです。ここまで見てくれてありがとうございます。さて、赤毛のアンに関する建物群の写真は?と思う方もいると思いますが……。

すいません・・・。肝心な部分を訪問しないでしまいました。商業ゾーンに気をとられ1時間ちょっと此処にいたのに肝心な部分を見ていないわけです。
オルゴールとアンティーク食器の店なんかもあるはずなんです。何せ広いんです。ということで、それらには次回行ったときに立ち寄ってみようと思う。もし目の前の行止り国道が、美瑛と1990年初頭につながっていれば人の流れが違った訳で、この巨大テーマパークの行く末も今のような結果にはなっていなかったのかもしれない。

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