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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

積丹半島西側の袋澗 その1 泊村1お知らせ


ニシン漁が盛んだったころ積丹半島には、
袋澗と呼ばれるたくさん獲れたニシンを網に入れて生かしたまま保管しておくため、網元が海岸に石を積んだ堤で囲った、プールのような形態のものが多々造られた。改良を加えられ、船溜り、陸揚げなどの多目的な機能をを備えて発達した。
ニシン漁が終焉しても、それらは、漁港に整備された場所もあるが、多くはそのまま放置され日本海の荒波に揉まれ、朽ちていくだけである。

これを書いている2014年現在(2022年加筆)でも多数の袋澗の遺構が積丹半島には点在している。 近年、風化も激しく、写真撮影している前後で、海岸線の護岸工事も進み、消失していくものもある。

2002年8月、11月、2004年10月、2011年6月に積丹半島西側、泊村、神恵内村に残る袋澗をはじめとした遺構群を巡った。

2011年の訪問後、昭和62年発行、北海道文化財研究所:「積丹半島の「袋澗」」(本は門の中の日が月になっている)という本を古本屋から購入した。この本は、昭和3年8月調査の積丹半島袋澗調査図を元に昭和59〜61年に調査したものの写真と昭和3年の袋澗の形等がまとめられている。
ちなみにこれらの調査の発端は、泊原子力発電所建設によって4つの袋澗が埋立てられることにあった。

この本を入手してから袋澗の探索を行えば、違う結果になったかもしれないが、本と自分の撮影したものを比べると現存しているものの多くを巡れたようだ。
以下では、本に記載されている呼称(S-〇〇号)を引き継いだ。以下の報告は泊から北上して神恵内までの順とするが、本では、余市からとなっている。


S-94号 泊村 堀株 茶津

 
現在左右のコンクリートの堤体基礎部分に石積みが残る。右側の堤体の奥にも本に記載されていない石積みの遺構が見れた。


護岸? 原発方向に、旧道の素掘りのトンネルが残る。
2004年10月 2011年6月撮影


S-93号 泊村 茶津

石積みは認められなかったが、コンクリート港内は天然石を四角形に掘りこんだ跡(切澗)がある。
2011年6月撮影

S-92号 泊村 渋井

写真ではわかりにくいが、中央部の岩の海水面に石積みの防波堤の遺構がある。写真では見切れているところにも石積みのような遺構が残る。
2011年6月撮影

S-91号  泊村 滝ノ澗

入り江でもない場所に存在する袋澗跡。 陸地に平地があるが、海岸線は、浅瀬が広がっている。 澗の字が地名に認められる。地名の由来となっている? 道路から見える場所からの撮影。海までの掘り込みが長くのが印象的。
2011年6月撮影

S-90号 泊村 滝ノ澗
 
掘り込みとそこに続く石積堤、左写真の岩の右側に右写真のように、自然の地形には不自然な掘り込み状のへこみもある。掘り込みとそこに続く石積堤、左写真の岩の右側に右写真のように、自然の地形には不自然な掘り込み状のへこみもある。
2011年6月撮影

S-87号 泊村 茅沼
 
茅沼の集落の端にある。袋澗内に十文字の切澗が印象的。手前のコンクリートの堤の基礎にも石積みが認められる。
茅沼炭鉱の石炭もここから積み出した?
2011年6月撮影

S-85号 泊村 臼別
 
左側写真中央の袋澗の入口には、板をはめて巨大な生簀に出来るようになっていたのが特徴的。右側写真は岩を挟んで現在は港に変わった袋澗。両者とも広い袋澗に対し岩を掘り込んで狭い入口が特徴的。
2011年6月撮影
この近くには地形図に アメリカソリ ((リンク切れ)という気になる地名がある。

S-83、84号 泊村 臼別
 
写真ではちょうど電線が堤に重なってわかりにくいが、「積丹半島の袋澗」に載っていたものもわかりにくい。
2011年6月撮影

泊の集落
 
旧道の切通し。昔はトンネル?、2022年現在拡幅されている
石造りの蔵、大きな家を解体した名残がある廃墟


泊村の市街には、鰊漁で栄えていたころの面影の残る建物が点在していたが石倉は2022年現存せず。
このすぐそばには袋澗から発展した泊漁港がある。
2011年6月撮影 最後の石倉2002年11月撮影

「鰊御殿とまり」と S-82号 泊村 泊
 
S-82号の袋澗がある場所は現在の泊漁港となっている。そこに面して武井邸が作られていた。もちろん袋澗の持ち主も武井氏。
その旧武井邸客殿(1枚目の瓦屋根)の敷地に、旧川村家番屋を当時の繁栄を現在に伝えるため移築復元して、「鰊御殿とまり」(2枚目の写真)として平成13年4月より一般公開している。

明治27(1894)年に建てられた旧川村家番屋は泊村に現存する唯一の番屋建築で、梁や柱の太い木材は今では入手不可能な物を使用している。「旧川村家番屋」では、親方の暮らしや雇われた漁夫たちの共同生活の場など、それぞれの部屋には当時の情景を再現した展示や当時の貴重な資料が展示されている。その外には。鰊漁で使われていた舟の展示がある。
 

大正5(1916)年頃に建てられた旧武井邸客殿は母屋と番屋につながる漁場建築の一部だった。
欄間の透かし彫り、廊下の板床、便所の唐傘天井など意匠を凝らした華やかな装飾が見らえるのが特徴。
 

泊漁港、2011年6月 鰊御殿とまり、2004年10月撮影


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