神恵内 弁財澗 (袋澗ではない)

旧道時代の弁財トンネルと旧旧道(2002年8月)は新道が出来て弁財澗の海側からの眺めとなった
神恵内村は、陸の孤島といわれ、村に入る陸路は険難の陸路ばかりで、先人たちはその開削に心血を注いだ。
国道229号の半島先端部の整備は大正10年、泊村茂岩?神恵内間の断崖の大工事に着手、大正11年(1922)のが開通を皮切りに進められた。
弁財澗は、袋澗ではないが神恵内村にとっては重要な拠点でもあった。

旧旧道の橋と、隧道が現在の海に架かる橋梁から見ることが出来る。2011年6月撮影
弁財澗 ・ 弁財トマリ
江戸期から見える地名で、ラウネトマリともいう、ラウネトマリの地名はアイヌ語のラウネモイに由来し、「深湾」を意味する。
そして弁財船が湾内に停泊できたので弁財泊と呼ばれるようになったと思われる。松浦武四郎「再航蝦夷日誌」に「弁才トマリ、舟掛り澗。六百石位のもの、二、三艘かかる也」と記載されている。
明治期は、春ニシン漁に東北地用からのヤン衆が来村し、新潟秋田青森から弁財船でで生活必需品が運ばれてきた。これらの船は村の入口であるこの弁財澗に入港した。そして神恵内からの積荷である、ニシン粕や胴ニシンを載せて出港した。
現在、無人のこの地には弁財澗のバス停があることで地名が残っている。
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