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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

積丹半島西側の袋澗 その4 神恵内村2 澤口の袋澗お知らせ


ニシン漁が盛んだったころ積丹半島には、
袋澗と呼ばれるたくさん獲れたニシンを網に入れて生かしたまま保管しておくため、網元が海岸に石を積んだ堤で囲った、プールのような形態のものが多々造られた。

神恵内村の市街地のはずれにある「澤口の袋澗」(澤口の澗)と呼ばれている遺構を紹介する。
S-51、50 神恵内村


S51 2002年は気がつかなかった。2011年は消波ブロックで埋められて分からないが、道路際には、当時の石組みの擁壁が残っていた。

 
S-49 2002年11月、2011年6月 煉瓦煙突?。

2011年訪問時、この一帯は消波ブロックが高く積み重なっており、50の袋澗もその下になってしまっている。高い位置から見ることはできる模様。 この袋澗の横には石垣があり、煉瓦煙突?が残されている。

S-49 神恵内村 (澤口の袋澗)
 
2002年11月 パノラマ合成写真  奇岩 キス熊 に堤体を形成

 
水辺に下りる坂横の石組擁壁の上の□の穴は何かの支柱跡が認められた。以下2011年6月撮影

 
キス熊岩左側の堤  と 右側の堤

 
袋澗の石組が港整備後にも残る。キス熊岩右側の堤の右側(袋澗の外側)にはウインチの基礎跡?

 
左側の石組みはインクライン橋脚跡、レンガ倉庫 
ちなみに2002年撮影のものはサッシ工事していない木枠窓となっていた
積丹半島の袋澗 より拝借下写真では、山の上までのインクラインと荷揚げ施設 

 
モダンな装飾もある洋館住宅と、大型遺構である澤口の袋澗の案内板が2002年にあったが2011年訪問時には見つけられなかった。

袋澗のある海岸線は、平地が少なく、すぐ崖となっており、ニシン粕を作るためには狭すぎたため、高台の平地へ急傾斜をトロッコで運び上げ作業した。動力には水車を使用した。「積丹半島の袋澗」から1枚写真を拝借させていただきました。 現在も橋脚の遺構がレンガ倉庫の隣にある。前々からこの遺構がどういうものかわからなかったが、過去の写真を見て良くわかった次第。現在は新しい案内板も出ている?

レンガ倉庫は1897年(明治30年)頃の建築(道南・道央の建築探訪参照) 。インクラインを間にして洋館があるが、基礎の部分の階段と建物の位置が一致していない。基礎部分は拝借させていただいた写真にあった当時の建物のものではないだろうか?。

尚、積丹半島の袋澗 には、澤口漁場全景の写真が載っている。S-49、50、51を含めると積丹半島最大級の漁場であったようだ。


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