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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

にしん漁場建築(漁家住宅) ニシンロードを行く その2 積丹半島東側お知らせ

  ニシンロード その1では 江差から岩内までを紹介、積丹半島西側は、袋澗で紹介。
その続きとして積丹半島の東側の漁家建築を紹介する。撮影年月日が2002年11月と今から10年以上前のもので、紹介したもの現存しているものが数少ない。2015年9月記に2023年に旧福原漁場、下ヨイチ運上家を追加した。

積丹町
積丹町余別

ドライブイン?民宿でしょうか?お食事入浴サワと書かれております。漁家建築風の建物はは使われていなかったかもしれない。 2002年11月撮影。
現存していないようで、撮影場所もはっきり覚えていない。現在の余別トンネルの入口付近?、同名の美味しいウニを食べれるお店があるところと思われる。 積丹町は、神崎(沼前、尾根内、柾泊)、西河、入舸(日司)、美国に袋澗が点在していたようだが、港湾の改良で跡がはっきりわからない。

積丹町美国船澗
 
 磯野家住宅 美国市街から黄金岬のトンネルを抜けたところにあった。2002年11月撮影 現存せず。
晩年は旅館として使用されていた。 「道南・道央の建築探訪」にも紹介されており、明治初期創建、同30年代増改築されたもの。 昭和26年に旅館に改修され、平成9年に旅館を閉じた。

積丹町美国小泊?


 国道道路沿いからやや小高い位置、石組みされた地盤が特徴。 googlemapで確認したが、どうやら道路改良で消滅した様子。 2002年11月撮影 


古平町
古平町歌棄


明治旧国道沿いにある。googlemapで確認すると傷みが激しいく見えた。 後出の八反田住宅の調査は行われなかったようなので、たぶんこちらも未調査。個人的には、町で調査して記録を残していくべきだと思う。


古平町沖町

 
 八反田家住宅。明治45年建造。残念ながら、2011年秋火事にて焼失。
八反田家は沢江にも住宅があってそちらのほうが古い。上記の歌棄にある漁家建築の近くに場所にあった様子。「北海道の古建築と街並み」という本では建物が異なるが、後ろの山並みは同じなのである。


沢田家住宅。大正7年建造。八反田家住宅と近い距離にあったので目立っていた。2枚とも2002年11月撮影


余市町
余市町潮見


 大村家住宅 明治初期。建物横に船着き場の遺構が残っていたのは貴重であったが、ワッカケトンネル出口付近の道路と法面の工事により現在消失。2002年11月撮影
 

旧余市福原漁場

余市町浜中町あるニシン漁場の建物群は、国の史跡に指定された旧福原漁場として見学が可能である。
福原家が経営していたが、ニシン漁が不漁になるとり、川内家に引き継がれた。
大正初期に作られたと思われる主屋、文書庫、米味噌倉、網倉、便所、物置を修復、石倉、雑庫は復元されて大正時代往時を偲ばせている。
 
主屋は大正5年頃建築。内部の見学も出来る。建物左側は雇漁夫、右側が主人とその家族の生活場であった。
文書庫は明治期に建てられた様。奥の石倉は再建。全盛期に使ったであろう、鰊を載せて運んだトロッコも再現。


海岸段丘の崖下に米味噌倉。海や、主屋等から離れているのは、火事から守るためであろうか?。
その手前にあるのは、身欠き鰊を干すための納屋場を再現。
2002年8月、2004年10月撮影

旧下ヨイチ運上家

余市町入舟町にある、松前藩が設置した運上家で国の重要文化財である。江戸時代(嘉永6年)1853年の建物で、見学が可能である。この施設は、ニシン漁場建築ではないが、松前藩の家臣に変わって治めた商人が建て、交易の基点、役人等の宿泊所であった。

 
神威岬以北は女人禁制であったが、説明書はそんなことは書いていないが居た模様。


ニシン漁をしていた建物ではないが、ニシンを背負って運ぶためのモッコも展示してあった。
2011年6月撮影






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