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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

島武意海岸に残るニシン漁の痕跡お知らせ


日本の渚百選にも選ばれている島武意海岸。晴れている日は積丹ブルーのきれいな海を見ることができる。 この島武海岸には、積丹半島で行われていたニシン漁の遺構が残されている。


 
美しい積丹ブルーの海と岩のもてなす風景が素晴らしい。
悪天候でも、海の荒々しさが絵になる。

2004年10月(一部2002年11月、2011年6月撮影)、 島武意海岸へ向かうべく、車を駐車場に止める。
そこから展望台へ行くには入舸島武意トンネル(何で名前をチェックしたか失念)を抜けることになるが、このトンネルは、鰊漁が行われていた頃に掘られたものである。
海岸から陸路で入舸(いりか)の街へ行くためのもの、浜で鰊の加工の限界があり、ある程度の平地を求めてトンネルを作ったと思われる。トンネル横の駐車場の平地も、元をたどると鰊に関するものなのかもしれない。

現在は島武意海岸トンネル入口という扁額がある。トンネルは、景色を見せるために掘られたものだとしか思われないだろう。トンネル前には日本の渚百選の看板だけではなく、そういうニシン漁の歴史の部分についても案内が欲しいところだ。


トンネルの中の闇を抜けると、きれいな海が広がっている。 このような演出はなかなか無い。

トンネル出ると海岸まで下っていく道があるが、足場が悪く、通行不可のときもある。
下っていくと、すぐ眼下には大きな建物があったであろう遺構が見えてくる。現在は使われてない状態のままのトタンの小屋、その奥にも石垣の上にトタンの小屋がある。

 
石垣の上の平地には番屋、またその奥の小屋がある辺りまでは、鰊漁に使われた作業する平場であったと思われる。


石垣には、 記念 斉藤丈雄? 大正六年五月 と書かれている。 その年に建物が完成したのだろう。

 
遠くから見ると気がつかないが、近くで見ると奥の小屋も石垣の上にある。
その手前の浜には、浜に桟橋に用いられた?直線状に並んだ木の杭が残っている。

上記のブルーの海の写真の左側にも遺構がある。こちらは海岸線を埋立てた遺構がある。 忘れてしまったがこの先にも木の杭があったようにも記憶している。
ここには、積丹半島西側の神恵内、泊りで見られた袋澗は存在しないが、天然の地形を利用した細長い入江を利用していた可能性もありそうだ。
山側のやや高台には石垣が築かれ、ちょっとした城跡のような不思議な遺構である。建物があったのか、それとも作業用の平場だったのか?

 
狭い海岸は、埋め立てられ平地化された。その上にも背高石垣がある。

google地図を見ると、下の写真の岩向こうにも石垣の遺構が見られる。 積丹町史など目を通すと、ここの歴史がわかるのかもしれない。



左上の建物(神社)がある辺りに島武意海岸の展望台、トンネルがあるので、重い荷物を担いでそこまで上がって通るには相当の労力があったであろう。


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