にしん漁場建築(漁家住宅) ニシンロードを行く その4 石狩以北お知らせ
ニシンロード その1では 江差から岩内までを紹介、積丹半島西側は、袋澗で紹介。その2は積丹半島東側の漁家建築を紹介。その3では、小樽市祝津に残る建築を紹介。その4では 石狩から小平までを紹介する。今のようにGoogleマップで下調べやネット上に情報も無いときで漁家建築をなんとなく撮影したものも多い。2002年頃は現存していた建物はもっとあったはずだし、今も残る建物をもう一度巡ってみたい気持ちはある。
石狩市
石狩市浜益区濃昼

旧木村家住宅 濃昼の小集落、港そばにある。明治33年創建の鰊番屋と網元住宅の和洋折衷の珍しい建物。平成12年に地物を利用した磯料理の店「濃昼茶屋」としてオープン、雑誌等に多く紹介されていた。飲食店舗として綺麗に保たれた状態の2002年5月撮影。
その後閉店し、現在は空家となり久しい。
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石狩市浜益区浜益

旧白鳥家番屋 明治32年に建築され、ニシン漁の衰退ともに昭和30年代に放置されていたが、昭和46年に浜益村開基百年事業の一環で番屋を復元して、「はまます郷土資料館」となった。北海道他の地域にありがちな100年記念塔(タワー)など造らないで、歴史的建造物を再建したことは開基150年過ぎた今こちらが正解といえるだろう。
現在「はまます郷土資料館」は、ニシン漁で使われた漁道具や、当時貴重なカレンダー時計の展示と番屋内特有の建築が見物である。2004年10月撮影


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石狩市浜益区幌

旧木村番屋 はまます郷土資料館に雪景色の番屋の写真があり、その存在を知った。明治20年頃の建築。かれこれ無人となって長いようで、崩壊も近い感じであったが重厚感のある威圧感も感じる建物だった。。現在解体済み。2004年10月撮影
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石狩市浜益区床丹

旧種田家住宅 明治32年建設 国道231号線のトンネル補修工事のための信号停止時に太横を見ると立派な廃屋があることに気がついた。訪れると、明らかに漁家建築である。放置されて相当年月が経っているようで屋根は剥がれてきていた。現在解体済み。2002年5月撮影。
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増毛町
増毛町はニシン漁で栄えた明治期に貨物輸送の拠点となり、ニシン漁が終焉となって現在に至る。増毛の繁栄期を偲ぶ建物が残っている。

旧商家丸一本間家 呉服商、鰊の網元、海運、酒造などを行っていた。呉服店店舗部分を明治26年上棟後、約10年増築を繰り返し完成した。
本間家の直ぐそばにある増毛館 昭和7年頃建築、元々対面にあった旅館が大火後に建築されたもの。
2005年9月撮影 他にも何件か古建築がある。
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増毛町阿分

この地域でしか見られない腰折屋根を有する、阿分にかつてあった田中家系の建築物。奥に異なる住宅がある。明治初期の建築?令和6年現在奥の建物のみ現存 2002年5月撮影

旧田中家出張番屋 明治初期の建築 2015年6月撮影
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留萌市
留萌市礼受

関家番屋 明治25年建築 2002年5月、2015年6月撮影、現在も住宅として使われ、管理されていることがよく分かる。

主屋から離れた場所に倉がある
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留萌市礼受 旧留萌佐賀家漁場

2002年5月、2015年6月撮影
江戸時代の弘化元年(1844)に佐賀家が礼受にニシン漁場を開き昭和32年まで113年間にわたってニシン漁を営んできた漁場。
平成7年に留萌のニシン漁撈用具として重要有形民俗文化財に指定、平成9年に旧留萌佐賀漁場として国指定史跡となった。現在は公開日があり内部を見学できる。また案内板も建ち周囲を見ることが出来るようになっている。

主屋と干場、奥に船倉と完成した鰊粕などを保管したトタ倉、総トタン張りにしたことからそう呼ばれた。

船倉の奥に稲神社 船倉の黄色の部分は船首

海側は廊下と呼ばれる、漁獲した鰊を生のまま保管する場所。もう一見建っていたとのこと

船揚げ場 と 佐賀家全貌
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小平町
小平町鬼鹿
明治38年建築、道内に残る中で最大規模を有している。往時は200人を超えるヤン衆が寝泊まりしていた。昭和46年には重要文化財になっている。このとき、小平町は買収し、3年の年月で1億9000万円で解体修復した。

道の駅「おびら鰊番屋」が併設され、道の駅の建物は番屋風建築となっている。

小平町大椴から木材を搬出して造られた。外見から分からないが、庭もある。

船も展示してあった。2002年5月訪問
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