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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

汐首岬第一砲台 (津軽要塞) お知らせ

 1923(大正12)年、軍部の意向で津軽海峡の重要性が再認識され、津軽海峡の青森側北海道側の各地、大間崎、竜飛崎、汐首岬、白神岬の砲台を合わせ津軽要塞が発足した。函館側の汐首岬第一砲台は昭和4年6月に工事が始まり、同8年3月に竣工した。
 津軽要塞は、敵海軍主力艦隊との交戦は無いとして大口径砲台の建設を中止し、防空施設や対潜水艦、夜間の防禦力に重点を置いた要塞を建設しようというもので、汐首第二砲台、大間崎第二砲台、龍飛岬砲台、尻屋崎砲台、白神岬砲台の大口径砲台は建設せず、予備火砲の15センチカノン砲を装備した砲台の建設が昭和10年5月に白神岬砲台、翌11年4月に龍飛崎砲台の工事にそれぞれ着工、前者は11年10月、後者は12年12月に竣工した。
 汐首崎第二砲台は昭和13年に起工し15年6月に竣工した。しかし大型口径汐首崎第一砲台の30センチ榴弾砲は撤去された。 この汐首崎第2砲台の竣工をもって、要塞整理による津軽要塞の建設工事はすべて終了した。


湯川根崎温泉案内 昭和11年5月4日 (津軽要塞司令部検閲済)では、函館山は描かれていないのは分かるが、砲台のあった津軽要塞の汐首岬付近も白く何も描かれていない。


左端に銭亀沢無線電信、砲台のあった戸井は秘匿扱いで空白、そして日浦付近は蝦夷耶馬溪と記載がある。

この空白地帯に、津軽要塞汐首岬が存在していた。
国道278号を函館方面から、戸井の街中を流れる熊別川沿いを山側へ進み、戸井高校(2015年廃校)を過ぎて、その高校のグランドの横に汐首岬第一砲台跡がある。

 

砲台の砲側庫が特徴的で、造られたときのまま迷彩塗装がされた姿である。建物の上の木々は植えられたものなのか?戦後に生えたのか、結構大きく育っている。
建物入口は金網があり入れない。



 
砲側庫の横は、砲台があったのかな? 木々の生い茂りで荒地となっていた。

2006年5月訪問

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