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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

札幌農学校第2農場(モデルバーン)お知らせ


 札幌農学校農場は、W.クラーク先生の大農経営構想に基づき明治9年に「農校園」として開設された。後、ブルックス先生が現ポプラ並木一帯を教育研究用の第1農場、一戸の酪農家をイメージした模範農場として第2農場と区分した。この時代は日本に畜産技術が無く、北海道に入植してきた人たちに模範的な畜産経営を普及させる必要があった背景が挙げられる。
 明治10(1877)年に日本最古の洋式農業建築として模範家畜房(モデルバーン)と穀物庫が作られた。札幌農学校第2農場の施設は農学校の校舎が今の時計台周辺にあった頃は、現在の北大正門周辺にあったが、総合大学として発展するために土地を明渡し明示42年から44年(1909−11年)にかけ、現在地に3棟移築、新たに6等建設し整備した。
 大学(北大)の拡大と都市化の影響で農場は縮小されていき、昭和42(1967)年隣接地に畜産研究が移転してその役目を終了した。



 昭和44年8月、洋式農業建築や北海道畜産の発祥地としての歴史的学問的価値によって、国の重要文化財の指定を受け閉鎖管理されてきたが、平成12年に一般公開され現在に至る。  このページでは、第2農場の建物を紹介していく。

農場事務所 Farm Office  

 現在地で明治12年に建築したものを踏襲して明治43(1910)年新築され、昭和55(1980)年に修復工事がされた。また第2農場派出所の名で新築され、明治43(1910)年に現在地に移築した管理事務所でとの報告もある。  木造平屋建(屋根裏部屋有り)、洋式構造、裏にトイレ併設。
 第2農場の管理棟で、事務室は当時としては珍しい窓ガラスを採用し、西側の出入口と北側の作業場を見やすくしている。現在は、文化財を守るガードマンの事務所として使われ、玄関に見学者の記録簿が置かれているので、ここに寄ってから場内の見学となる。

種牛舎 Bull Barn

 明治12(1879)年に新築、明治43(1910)年現在地に移築時に2階をつけて独立家屋とする。
 長さ13.5間の切り妻造り2階建、屋根に6基の換気筒、1階は中に6室の繁殖用種牛房がある。2階は濃厚飼料タンクと干草を収納する平床である。
 どう猛な種牛を飼育するため、牛房の馬栓棒の外側に板扉を釣り込み、各間仕切りの板を厚めにしたり、窓ガラス戸は上部を突き出す開閉方式で外部との視界を遮断する等の工夫がされている。牛床下には玉石を入れて湿気を防いでいる。

牧牛舎(牝牛舎) Milking-cow Barn
 
 明治42(1909)年に海外から伝わった最新技術で新築され、昭和52(1977)年修復された。
 南北19間の8基の換気筒付切り妻つくりで、東西面に出入りの突出部がある。屋根裏は資料置き場で中央に柱のない洋小屋構造で、搬送用ハンガーリフトの木製レールがあった。サイロ(緑飼貯蔵庫)は内径約5mで札幌軟石、ムロ(根菜貯蔵庫)はレンガ造り。またこのサイロは、小岩井農場(日本初)の次に出来たらしい。
 サイロ、マンサート型畜舎など新しい酪農形態が伝わり、そのモデル搾乳牛舎として造られ、1階には繋留方式を比較するため床高さが異なる牛床が2組ある。

模範家畜房(薄名:産室追込所及耕馬舎) Model Dairy Barn

 明治10(1877)年、地下室と2階を通過できる馬車道付きで完成、明治43(1911)年に地下室と馬車通路(2階が乾草収納室で直接馬車が入れる通路)を除去して現在地に移築、そして昭和54(1979)年に修復された。
 桁行17間、梁8間半(実測ではフィート単位で100ft×50ft)切り妻造りの2階建で、延床面積555uのツーバイフォー式バルーンフレーム型の建築様式で日本最古の洋式農業木造建築である。
 

 クラーク博士が、北海道農業の模範となるように「モデルバーン」の名前を使っていたため、模範家畜房が通称となった。1階は5室の分娩室、片側11頭の成牛を反対向きに入れる対尾式追込所、6室の子牛の育成室が2対、馬房が13室ある。
 屋外壁の乾草搬送用リフトの所に牛の頭を形どった彫刻がある。

穀物庫 Corn Barn  
 明治10(1877)年建築、明治44(1911)年に現在地に移設、昭和49(1974)年に修復工事。
 40ft×30ft高さ1メートルで49本の束石の上に乗った高床式、2階建切り妻造りのバルーンフレーム構造で、玉蜀黍(コーン)と収穫穀物などの貯蔵庫として建造された。束石には鼠返しを設け、入り口は取外し可能な木製階段が付いているから、貯蔵庫に鼠1匹も入れない配慮がされている。1階の壁3面に設けられたスノコ状枠の中にコーンを収納して、自然通風をしながら貯蔵できるように配慮されている。1階中央には次年度の種子を貯蔵する小部屋を設け、2階から袋入りの種子が落とし込めるようになっている。


写真右側の建物が穀物庫、左側が脱ぷ室・収穫室

脱ぷ室・収穫室  Threshing,Hulling&Cleaning Room
 明治44(1911)年に現在地に1880年代建築された作業室を移設して脱ぷ室と収穫室に仕上げた。大正2(1913)年に札幌軟石造りのスチームエンジンの動力室(上写真)を増築、昭和47年に修復工事を行った。
 1棟を2つに分けた収穫室と脱ぷ室は収穫室のみ2階建にして穀物庫と連結している。脱ぷ室は、麦等の穀物類の脱穀、選別作業などを行う機械作業場で、脱ぷ室の「ぷ」は、禾と孚をあわせた常用漢字外の文字で穀物の外皮や籾殻を言うから、脱ぷ室は籾摺り部屋である。収穫室は、秤量や袋詰、種子選別等を行う部屋で、精選にしたがって1階から2階へと移動させた。

秤量所 Cart-scaling Place

 明治44(1910)年に建物とトラックスケール(大型台秤)を新築。
 平屋建。馬車の積荷が満載時と帰路の空車時の全重量を測って搬送量を計測したため、乾草を満載した荷馬車が通過できるように両側の扉を開くと側壁と屋根のみの門のように広がるようになっている。
 最初のトラックスケール(大型台秤)は、明治11(1878)年にアメリカから購入してモデルバーン入口に設置し使わっていたが、現在地に移転する際に家畜房2階への通路が廃止されたため、圃場への通路際の現在地に秤量室を新築し、新しいトラックスケールに更新した。現在も給油・整備さえすれば計量が可能である。

釜場 Food-processing Plant

 明治44(1910)年に新築、ただし1880年代に建築されたものと同型である。昭和47年に修復工事。
 札幌軟石造りの平屋建、大きな竃(かまど)と釜を備えて豚などの餌を煮こみ、隣の囲いのある床に広げて潰し混和した家畜飼料の加工場である。防火上から石造りである。 このモチーフが札幌駅前通りの歩道にタイルで描かれている。

 
農用トラクタが窯場の隣に並んでいる。
戦前の鉄車輪輸入トラクタ、戦後のゴムタイヤ輸入トラクタ、国産トラクタ、戦前戦後の耕運機が並ぶ。

精(製)乳所 Milk Processing Plant

 明治45(1911)年に新築、移転前は木造。昭和47年に修復工事を行った。 煉瓦造りの建物内部は大きく3つの部屋に分かれ、東側道路際の部屋は、窓(写真の白い2つの窓)から氷を入れるようにした冷蔵庫、中央の2部屋は市乳とバターやチーズの加工室であった。加工室は機器と人を洗浄後に出入りして雑菌が混入するのを防ぐようになっている。

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