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ギャラリー

珍北海道紀行 ROADSIDE HOKKAIDO

      
 

生活歴史館 (郷愁の丘ミュージアム)(昭和レトロ館) 閉館お知らせ


2001年7月、この生活歴史館は、郷愁の丘ミュージアム第一期計画でオープンした。しかし財政問題で、2009年にはちがう施設になる。
訪問時は、第二期工事が行われている工事等が終わっていない2002年6月訪問と、閉館間近の2006年10月訪問

この施設、検索すると「昭和レトロ館」となっているところもあるが、当初は生活歴史館と名乗っていたのでそちらを採用する。
この生活歴史館は、前出のもともと夕張市に存在した、石川コレクションにあったものが寄贈されて、ここで展示されているのだ。 入口には、生活歴史館の展示品を寄付した夕張市名誉市民 石川十四夫氏に対する敬意が書かれている。本当にすべて寄付なのだろうか?

 

館内に入ると、展示品が5つのテーマごとに綺麗に鎮座しいている。閉館間近の来館時は、館内の電気が消えていて、管理している方に明かりをつけてもらった。



入ってすぐに、カメラや、時計、蓄音機の並んだ「今はむかし」コーナー。ここには何故か能面や天狗のお面、近年造られたであろう土偶などが展示してあるが案内表示はない。

 

その横の展示は、「コレクション広場」となっており、貝殻や、石、、化石、夕張に関する鉄道コレクション、そして玩具、帽子、あやしいデカい壺、甲冑や火縄銃、動物の剥製が並んでいる。

 


「ゆうばりの財産」という展示では、財産っていってもなあ〜という、ひと世代前、昭和中期の冷蔵庫や箪笥、火鉢などの生活民具が展示してある。他の展示に比べると、どうでもいいか?と思わせる展示だったので撮影しないでしまったが、実は生活歴史館という名前は、ここからきているのでは?と考えると、写真がないのが悔やまれる。

とにかくジャンルは問わないわけで、これらが雑然と並んでいたであろう石川コレクションは、相当カオスな世界だったであろう。 一部甲冑や消防等の制服で記念写真ができるが、子ども向けと言うよりは大人向けなのだ。

 

奥に進み、特徴的な八角形の建物部分は、「火消しのいろいろ」という展示。ここの展示は、きっと石川消防記念会館にあったものが並んでいるのだろう。半纏、制服、消防服、頭にかぶるやつ、消火器、ホースの先、消火栓などなど。そして外には、引退したひと世代前の消防車や、その仲間が展示してある。廃車にしないで石川氏が引き取ったのかな?
まあ、この展示を寄付した石川十四夫氏は夕張では消防団長もしたことがある方で、そういう伝手でこれらのものが集まったのであろう。

 

外に出ると、「やすらぎの広場」。そこには盆栽が並んでいる。 案内には、炭鉱長屋がずらりと続く空き地には、花畑や盆栽が丹精して育てられました。炭鉱の年中行事として展示会や品評会もひらかれ、芸術としての鑑賞価値が競われることもありました。、と書かれている。 ん〜。寄贈されたわけだけど手入れがあまりよろしくないようだった。盆栽が冬を超えるのは北海道では管理されていない限り難しい。

2006年訪問時は、これらは存在していたかな?無かったような気がするが、撮影していないのでわからないけど、石川コレクションの存在を知らず盆栽を見ると、きっと何故ここに盆栽??となることは間違いなかったであろう。

私見…
石川氏は元道義で、叙位・叙勲・褒章受章していることがわかった。 わかったのはいいけども…どうも引っかかるものがあるね。


夕張では、街の発展にもつくしたであろう彼に、だれも逆らえなかったのでは?と考えると…??

もう年だから、コレクション引き取ってくれ、よし分かったよ、あなたから言われたらNOとはいえないしな〜仕方がない、いつものように国からの補助金受けて3セクで展示する方向で、みたいなやり取りがあったのでは??

もしくは、石川さんに大変お世話になった、コレクションの引き取り手を探していると聞いたからには、ぜひ夕張でそれらを生かしていきたい、そのためには3セクで… みたいなことを考えてしまうのだ。

これの施設を含む、郷愁の丘の計画がさらに近年の夕張の赤字を生み出す原因だったことは間違いない。

夕張破綻後、ここに展示してあったコレクション類は、市有物としてYAHOOオークションに出品され、いくらか財政の足しにはなったようだが、この建物の元は取れていない結果であった。

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