道道610号占冠穂別線 南側 その1お知らせ道道610号占冠穂別線は名前の通り、穂別(現むかわ)の富内から、占冠のニニウまでの間の道路で富内側、ニニウ側ともに取り付けの他の道道使うと、穂別と占冠の中心部を繋いでいるのである。 この道は、蛇行する鵡川沿いを進む崖に沿った道幅の狭い道部分もあり、頻繁に崖崩れがおき、不定期に通行止の時期が続くことが多かったが、2024年現在、2016年の台風10号の被災後?占冠村ニニウの一部を除き通年通行止めになって久しい。紹介する富内〜福山間はそれ以前から長期の通行止めとなっている。 2006年11月3日、えのぺーじの「え」さんの運転協力により富内〜福山間のレポート化が実現。 道道131号平取穂別線から分岐する道道610号は鵡川を渡り(1)、富内の集落に入る(2)。富内はかつては林業、鉱業で集落は発展していたが、今は物静かなメインストリートとなっている(3)。
富内集落には旧国鉄富内線富内駅が保存されている。 駅舎、駅舎側ホームは廃線前の雰囲気がそのまま残っている(4,5,6)。そして、一部のレールは銀河へ向かっている(検索してください)。
道道は、富内の街を過ぎるところでは旧富内線の踏切警報機が現役で残っていた。通学路なのか歩道がしっかりと完備されているのが印象的(7)。 しばらく進むと鵡川の川沿い区間にゲートがあり(8)、その先から徐々に高度も上がっていく。ゲートの先は無人地帯だ(9)。 いよいよ寂しくなったところで2車線舗装路は、シマロップ沢の橋を渡ると砂利道狭路となる(10)。
(12)「大崩付近 落石 通行注意」と案内しているが、大崩という地名は現在存在していない。大崩っが落石って、字の通りで、地名というよりは、何時も崩れている場所ってことでそう呼んだ地名なのでしょう。通年通行止めなのも「大崩」しやすい地形を進むからなのだろう。 この辺りはカーブの連続区間で、カーブからハッとさせられるような鵡川の流れを見ることが出来る。紅葉の時期はさぞかし綺麗であろう(13)。道は崖地なのですぐ急斜面(14)。
ここからみた鵡川には、古くなったコンクリートの堰堤が見える(16)。 覆道内は大型車とはすれ違えないが、乗用車同士であればなんとか離合できる幅はある(17)。抜けてきた覆道の上は、土砂が堆積していた。この区間は無理矢理道路を通している箇所で、ここががけ崩れになりやすいのだろう。 ちなみに覆道出口の白い案内には、富内と書かれている。 覆道を出ると、坊主沢?(20)の橋があり、ここには、旧橋脚が残っている(18)。この区間で崖崩れがあって架橋した橋も影響があり崩れた可能性もありうるね。
「坊主沢の五輪塔」と書かれた案内板がある。その横の岩の上に五輪塔(21,22)。 案内板には、 「坊主沢の五輪塔 昭和27年発電所工事に先だって工事の安全祈願と、無縁仏供養のため当時の横山正明村長の発案で建てられた。造材搬出の盛んな頃からここはひどい難所で工事も困難をきわめた。塔の石は村民が背負って運び製作は伊達市の森田某、開眼法要には永平寺福井天童師を招いたといわれます。 いまも急崖の懐に谷の風をうけて凍然と」 この五輪塔の下を流れる鵡川を横切るコンクリート堰堤が水力発電所の取水用とのこと。礫がたくさん堆積してしまっている。訪問時、公開した2007年はそれに関する事はネットではほぼ確認できなかったので、それがはっきり何だかは分からなかった。発電所そのものは使われなくなっても(10)のちょっと先の鵡川沿いに遺構が残っているようだ。 発電所工事前の安全祈願前に、無縁仏供養というくだりが気になる。戦前?戦時中福山へ向けての鉱山道路を作った際に亡くなられたタコ部屋強制労働者に対してであろう。北海道各地でそのような歴史は葬り去られてしまっている。 もしかすると石積の橋台とコンクリートの橋脚跡はその時造られた可能性もあるよね。
五輪塔地点から高度を一旦下げ道は鵡川の川面に近づくような道が続いている。その先には崩落して木々の無い山肌とその下に緑色の覆道が見える(24)。 その2へ続く |
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