にしん漁場建築(漁家住宅) ニシンロードを行く その1 松前〜岩内お知らせ北海道の日本海側(太平洋側にも)の海岸線には、かつて多くのにしん漁場建築が存在していたが、海岸線に道路を作ったり、護岸の整備などでそれらの建築物は消滅していった。ここでは、ニシンロードと私が勝手に名付けさせてもらった北海道の日本海側、追分ソーランライン、オロロンラインに現存、消滅した、網元や漁師たちが寝泊りしていた建物や、鰊漁に関する商家なども一部紹介していく。 建築の専門家ではないので、詳しい定義は分からないが、にしん漁場建築、漁家建築、漁家住宅は、ニシンの漁家が作ったニシン御殿、番屋と呼ばれる一連の建築物である。 私の目から見ての漁場建築なので、そうではないものもあるでしょう。屋根の上に、ポコッと小さい屋根(望楼)がある建築は勝手に漁場建築と見なした。 写真撮影は2002年初夏〜初冬、2004年10月 2006年、江差から岩内間、積丹半島東側を公開した。 その1 松前〜岩内
2003年、歴史文化、食など多様な角度から、「ニシン」にスポットを当て、ニシンに対する認識を深まめ、新たな産業や観光資源を得て、ニシンを通じたまちづくりを進めることを目的とした、「にしんルネサンス事業」が初めて江差町で開催された。 2005年、北海道日本海沿岸市町村を通るルート約700キロを『にしん街道』と命名し、各市町村に標柱を設置を始めた。 勝手にニシンロードと名付けたが、ほぼ同じ頃、にしん街道の名称が決まったのは後のことであった。 江差町 江差は江戸時代からニシン漁で繁栄を極め、「江戸にも無い江差の春」とも言われていた。北前船交易により栄えた地域。ニシン粕を北前船に載せて本州に運び、代わりに米を積んで帰ってきて繁栄した。 江差地方のニシンの大量は大正2年が最後だった。その後漁場は北に移る。
上ノ国町
せたな町
寿都町
岩内町
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