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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

にしん漁場建築(漁家住宅) ニシンロードを行く その3 小樽お知らせ

  ニシンロード その1では 江差から岩内までを紹介、積丹半島西側は、袋澗で紹介。その2は積丹半島東側の漁家建築を紹介。その3では、小樽市祝津に残る建築を紹介する。すべて2012年5月撮影

小樽市祝津
小樽市祝津では、三大網元と祝える白鳥家、青山家、茨木家が出現した。明治30年頃が漁獲量がピークで、昭和5年に皆無となった。
旧青山別邸 (にしん御殿 小樽貴賓館)
 
祝津の港から坂を上っていくとそこに旧青山別邸。団体でも食事が出来る施設が小樽貴賓館でこちら先に名前があるので、別邸はおまけって扱いかもしない

旧青山別邸はニシン漁で富を築いた青山家が大正12年1に創建された豪邸。
軒下、欄間の彫刻、床や廊下、柱、床の間、美術品の襖など、贅を尽くした作りとなっている。お金に糸目を付ける必要が無かったくらいニシン漁の収入が凄かったことが窺える。
その後まもなく訪れた小樽でのニシン不漁でも、青山家は他に漁場を確保していたのですぐ経営衰退とはならなかった。
 
残念ながら館内は撮影禁止となっているが、商業系ブログやサイトには撮影を許可している模様。なんだかな〜
なお、海岸近くにあった旧青山家漁家住宅は平成2年、北海道開拓の村に移築復元されている。

茨木家
 
祝津の3代網元茨木家の住宅である。1階建ての主屋の後ろに2階建てのはなれがある。
玄関が2つあるのが特徴。


そばの石倉も、残っている。

茨木家中出張番屋
 
茨木家が明治期に建てた番屋。2010年(平成22年)に修復され公開されるようになった。ニシン漁が行なわれたときの様子、復元に関することなどの見学ガイドの案内を受けながら、漁夫が寝起きをする寝台(ねだい)と広間、炊事場、畳部屋など、当時の様子をうかがうことが出来る。

 

当時の落書き等が残っているのが興味深い。




旧白鳥家番屋
 
明治10年建築で、祝津に残る番屋では一番古い。網元と、漁夫が一体で住む形となっていた。
荒れたまま放置されていたが、1994年に取り壊される計画と知った、小樽の料理店が土地建物を購入し、群来陣 と言う飲食店となったが、2010年に閉鎖されたままとなっている。
一時期、不動産売買の業者のサイトに売物件(賃貸かもしれない)として飲食店となった内部の写真を密かに見ることが出来た。見ると、往時の面影はあまりなかった。
茨木家中出張番屋と旧白鳥家番屋の間には、かつて青山出張番屋があった


旧近江家番屋
 
余市にあった大村家住宅に似ているので、その頃建てられたか? 
 

田中家住宅(小樽市鰊御殿)

祝津の高台に立つ赤い屋根の建物は、泊村にあった田中家が1897年(明治30年)に7年の歳月をかけ建築したものを北海道炭礦汽船が創立70周年記念として買い付け、1958年(昭和33年)この地に移築しその後小樽市に寄贈された。この年は北海道大博覧会が札幌と小樽で開催され、祝津もその会場となったための事業とも思われる。

 
館内には、各部屋、ニシン漁に使われた道具、生活用具等の展示、建物も立派な梁があったり、漁夫が寝泊まりした大広間の大きさには驚く。使用目的が謎な隠し部屋など興味深いところがある。

 

 


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