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ギャラリー

北海道の産業遺産?遺跡? 

      
 

王子製紙千歳川第一発電所お知らせ


 千歳川(支笏湖)の水を利用して、王子製紙株式会社苫小牧工場に電力を供給するために明治43年5月28日に千歳川第一発電所は建設された(電力が整って苫小牧工場は、9月より操業開始)。
 支笏湖から流出する千歳川を堰き止め、そこから約4キロの隧道で調整池に運ばれ、落差130メートルの4つの送水管を流れ落ちる水力を使って発電している。


(1) (2)

(1)支笏湖から流れる千歳川に架かる国道453号翠明橋付近の取水口から隧道によって送水される。レンガ積みの水路出口。
(2送水先は発電の為の調整池



(3) (4)

(3)調整家の先にある、水圧鉄管取水口
(4)水圧鉄管取水口は、レンガ作り。大きなゴミが入らないようになっている。支笏湖の水が綺麗、
この写真は、職員の許可を得て撮影



(5) (6)

(5)落差約130m、4本の長い水圧鉄管を伝って流れ落ちる水の力で発電する
(6)発電所は戦時の迷彩塗装がそのまま残る

緑色の長い送水管と発電機の入ったレンガ造りの建物が印象的である。最大25400kw。


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(7)2001年7月訪問時の王子製紙苫小牧工場水力系発電所鳥瞰図、

(8)

(8)2011年6月の鳥瞰図。旧来の絵をを踏襲している。2001年と異なるのは、尻別川の発電所からの供給がなくなったことと、支笏湖の面積が異なる点。ちなみに国土地理院発表は78.48平方キロ

 苫小牧工場に電力を供給をしているのは千歳川第1発電所の下流にはサージタンクをもつ第2発電所(大正5年)、貯水ダム式の第3発電所(大正7年)、第4発電所(大正9年)、第2と第3第との間に造られた5発電所(昭和16年)が続けて完成した。他に漁川の発電所、ニセコの尻別川の2つの発電所がある。


(9) (10)

(9)千歳川第一発電所 現在よりも水圧鉄管が多い
(10)千歳川第二発電所 大正5年建設 絵はがきの字の印刷が天地が逆になっている。水の圧力を調整するサージカルタンクの写真


(11)(12)

(11)千歳川第三発電所 大正7年建設 重力式コンクリートダムを利用した発電所
(12)千歳川第四発電所 大正9年建設 出来て間もない頃ではないでしょうか?

2001年訪問時にいた職員からのお話では、他の発電所もあるので現在はここ第一発電所の4つの導管を1度には使わないとのことである。
2011年訪問時は、ニセコの尻別川の発電所からは苫小牧工場へ電気を送っていない。


(13)

(13) 恵庭発電所 他にも漁川発電所もあるが、鳥瞰図には描かれていない。


 道道117号恵庭岳公園線の国道453号とぶつかる交差点から3キロくらい走って直角カーブに小道があってそこから歩いていくと、この施設はある。サイクリングロード(この発電所を造るための鉄道跡)も完備されているので、自転車で訪れるのもよいかもしれない。
 烏柵舞(うさくまい)から後昭和26年に大字が廃止され、水明郷(すいめいきょう)と言う地名がついた。

 発電所の自動化がされる前は発電所職員、その家族の暮らした集落があった。この地を訪ねると、山神と水神を祀った神社、千歳厚生会館、1軒だけ残した住宅、浴場、学校の体育館、遊具などその名残が残っている。

(14)(15)
(14)千歳厚生会館 現在は発電所の事務所として使われている様子。建物裏に共同浴場跡が残っている。
(15)
社宅 1975年空中写真では社宅は何軒もあるが、この建物だけが残っているが利用はされていない様子。


(16)(17)
(16)学校体育館跡は倉庫として利用されている様子
(17)回転ジャングル、ブランコ支台の遊具が残っている。

2001年7月、2011年6月訪問



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