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釧路町難読地名巡り その1 知方学ってなんて読むのさ〜?お知らせ


道東の中心釧路市の隣の長靴アイスホッケー発祥の地の釧路町。市の隣の町が同名という変な?感じがするこの釧路町には、もっと変な地帯がある(あまり変、変と書くと釧路の方に怒られてしまうかもしれませんが…)。

そこは道道142号根室浜中釧路線沿いの昆布森地区で、知方学、冬窓床、又飯時など、どう読んだら良いか解らない地名が続くのである。 この存在を知ったのは当時存在していた「道東情報探検隊」というサイト内の「尻羽(しりっぱ)岬漢字地獄ロード」というぺーじがあって、どんなところかなって思ったら体が反応して東に車を走らせていたんだよ(笑)。



平成14年8月のとある日、朝5時半に車中泊をした厚岸道の駅を出発。天気は悪く、道道142号に入る手前で結構激しく雨が降り出してきた。やだな〜って思っていて、まず最初のポイントとなる仙鳳趾へ到着
。到着する僅か前に雨は止み、探検をするにあたって雨降りなのと曇りなのでは大違いなのでひと安心。「釧路町難読地名板」なるものが集落にあった。
地名は画像ではわからなので、番号を付けで場所が解かるようにしてみたよ。

それでは、難読地名巡りスタートです。地名の説明は簡単にしますので、詳しく知りたい人は釧路町のHPの釧路町難読地名クイズを見るといっぱい説明してある。


北海道庁による釧路の地形図の一部。大正3年3月20日発行。

 

1、仙鳳趾 (せんぽうし) 小魚が沢山いるところ


 

仙鳳趾は、学校もあるくらいの集落である。仙鳳寺というカッコイイ名前のお寺もある。江戸時代からこの名前は登場し、明治8年に仙鳳趾村と表記された。
仙鳳趾はブランド牡蠣の産地なので、時は見たことあるけど読めない・・・という人もいるでしょう。
小学校は廃校なってしまったけど、訪問時は良い雰囲気でした。


仙鳳趾周辺には上の地名板のほかに地名が存在していたり、まだ呼ばれていた。
別太(ベップト) 河口の意。今の仙鳳趾市街の河口に付けられていた。
瀬頭(セトウ、セガシラ) 江戸時代の書物に度々出てきたがどの場所かは特定されていない。
便内(ピンナイ) 細く深い川の意。仙鳳趾と厚岸の間に存在していたが、現在はどの場所かは特定できない。現在侵食された海岸線も昔は馬で往来できた。
オタクバウシ ヤチボウズの群生している場所。仙鳳趾の北の山向こうの地名。

 

2、古番屋 (ふるばんや) 川下の陸岸が丘になっているところ


 

 古番屋は丁度分岐する道路の辺りに当たりに元仙鳳趾と古い地図には書かれている。古い書物の仙鳳趾はこちら古番屋を指している。。徳川時代には駅逓、明治・大正にはニシン漁の漁舎があった模様。

道道をいいペースで走っていると、建物のない森の隙間に道があり、その片隅に案内板があるので一瞬見落としてしまい、慌てて急ブレーキをかけてバックする。その道を曲がってみるとイイ感じの砂利道。これを下っていくと、いきなり立入り禁止だった。仕方なく引き返す。いったいこの先には何があるのだろう?

 
 

3、別尺泊 (べっしゃくとまり) 陸岸の突出している舟がかりの入江


 

古番屋の案内板付近から道道は、やや内陸を走る。別尺泊へは道が無く、シケのときに舟を待避させていた場所で人は住んでいなかったと思われる。
そんな地名でも地図に載っているのはある意味不思議である。


古番屋と別尺泊の間には、地名板のほかに地名が存在していた。
ポンタラウシ 海中に小石がたくさんあるところの意。外国船がここで避難停泊したときに崖に炭層が露出していてこれを燃料使ったらしい。
ヨコヤマコタン 横山という人が住んでいたという説?アイヌ語で狩場の村?実際はよくわかっていない。

道が3方向に、まずは直進して知方学方面に進む。運転していたらローマ字表記までは読めない。実際の上の地図に記した番号の訪問順序は、6−5−4−7である。
 

4、尻羽岬 (しれぱみさき)海中に突き出ている山の背


 

知方学方面に進み、案内標識に沿って進むと知方学の集落があるがまずは岬へ。
道路整備途中の立派なダートが続く。知方学尻羽線凍雪害防止工事と書かれていたがここまで立派に道を造る必要があるのか疑問ではあるが、舗装されたら走りやすいだろう。
去来牛の分岐点  途中5.去来牛への分岐を過ぎ、直進すると行き止まりになり駐車場になる。。ここから歩いて約20分のところに尻羽岬があり、そこにはここに上に記してきた案内板が在るようである。しかし時間の関係もあるので、荒涼とした断崖の上を少し歩いて途中で引き返してきた。


 

また、尻羽岬には、日高から船で逃げてきた源義経主従が沖合いで猛吹雪に合い、座礁し、義経が断崖を登って石像になり、船が岩になったという伝説がある。義経伝説はどの辺りまで存在しているのだろう。


 

5、去来牛(さるきうし) 葦(よし)の群生している場所


 

上の写真の分岐点を曲がると道は狭く、こちら道は整備していなかった。急斜面の崖沿いに道が続いているが、海岸線までは行かなかった。昆布干し場と、何件かの建物が見えた。  昭和初期には、このあたりで牛が放牧されていた。
 

6、知方学(ちぽまない)河口に魚がたくさん集まるところ



前出したように、尻羽岬、去来牛に行く手前に、知方学はある。さらに読めない地名は続くのだが、「ちぽまない」なんて読めないよ。
ここはある程度大きな集落で、学校もあった。

 

フクロウの案内板のある場所は、右の青い案内標識の出ている場所にあるのだが、青いそれには、右に行くと知方学という表記もされている。
ということで、右方向に進む。



道は下り坂になり、さらに分岐が現れる。どちらも同じような狭い対向車がきたらどうしようっていう砂利道であり、両方向に行ってみると海岸部に民家があった。

 
ところで、「高見」という地名が表記されているが、どちらがそれなのかは判らなかった。案内標識では右側に書かれているので砂利道の分岐の右側が「高見」なのかもしれないが、釧路町史では、高見の崎は100m崩れ民家も移転しその面影もないと書かれている。
ちょっと謎である。移転して今の場所なのかな?  古文書には、ここ知方学から、去来牛、別尺泊、仙鳳趾の沿岸にかけ夷家(アイヌの家)が散在していたと表記されている。
 

7、老者舞 (おしゃまっぷ)川尻に倉の形をした岩山があるところ  




古くは武四郎の「蝦夷日記」に初めて出てくる地名であるが、古文書にはあまり出てこない名前らしい。
昔は昆布を採るため夏場にしか人がいなかったようである。 3.別尺泊での案内板の分岐点に、フクロウの案内板は存在している。
ここから集落までは細いながらも新しい舗装道路がつながっており、終点には立派な港があった。  
 

老者舞付近にはオタモイという地名も存在していた。波静かな砂地の浦の意で、昔は拾い昆布漁をしていた民家が1、2戸あったらしい。



冬窓床ってなんて読むのさ〜?釧路町難読地名巡り その2
又飯時ってなんて読むのさ〜?釧路町難読地名巡り その3

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