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ギャラリー

こんなところ走りました 

      
 

道道136号夕張新得線 ニニウ付近 その1 パンケ橋〜ニニウお知らせ


2005年9月25日の走行記。
むかわ町(旧穂別町)福山から北上した道道610号占冠穂別線は、ここパンケ橋ゲートで名前を変え、占冠中央へ行く道は道道136号夕張新得線となる。

2005年9月25日、北海道観光節(北海道観光大全)の「鬼峠」さんの運転協力によりレポート化が実現した。

一つ前のレポートはこちら
道道610号 占冠穂別線 北側 その一
道道610号 占冠穂別線 北側 その二

道道136号夕張新得線は名前の通り、新得と夕張を結ぶ道道名であるが、新得と占冠の境と夕張との境の峠部位が未完成である。 夕張側は、完成していないにもかかわらず、何社かの地図では、通行できるように記載されていたりする。しかもそれが道内の地図会社だったりするので困ったものである。2002年度の現状はこちら【ORRの道路調査報告書
道道136号夕張方面のパンケ橋ゲートは、16年度の災害のため災害のためゲート解放日は未定となっていた(1、2)。

2024年現在、道道610号の付け替えもあり、この場所に行くのは難しいと思われる。ちなみに国土地理院の地形図では、通行止の先の区間の表記は道道にもかかわらずか細い線表記である。

(1)(2)

(3)
パンケ橋を渡る(3)。道道136号の通行止ゲートからは直線的に道が出来ているが、今回道道610号から来ているので直角に曲がる形となる。
パンケ橋を渡り、左カーブを抜けると、鵡川の崖沿いの道となる(4)。垂直の崖に沿った道で(5)、見ての通り災害が生じやすい場所である。2024年現在、道路は対岸に付け替えられ、この区間は崖崩れも激しく道路の原形はとどめていない。
鬼流橋と言う名前の橋が610号にありそこでも触れたが、この崖地帯とその橋のある一帯の険しい地形、鬼も歩けば足を踏み外して川に落ちて流れるような地形を「鬼流」と言っていたのでは?という歴史ロマン。

(4)(5)

鵡川の景色は良い(6)。対岸に見えるのは、ニニウ集落の開拓地跡で、後にキャンプ場として使用されていた。 またそそこに行くための橋は、つり橋であった(7)。しかし高速道路の建設によって撤去されてしまったとのことである。

(6)(7)
やがて慶徳橋という小さな橋を渡るとゲートがあり、ここから舗装2車線となる(8)。2024年現在、(1)から(8)の区間は廃道となっている。
この先がニニウの集落のほぼ中心地となる。

(8)(9)
舗装になってすぐ左手に新入小中学校跡がある(9)。一時期は鵡川のラフティングの基地として利用されていたが、訪問時は使われていないようだった。2024年現在、校舎は解体され牧場となっている。

(10)(11)
新入小学校は、1975年に閉校になって林間学校として使われていた名残として屋根に「林間学校」と書かれている。上記2枚の写真はそれ以前2001年に訪れた時撮影したものである。ニニウ近く二見られる赤岩のオブジェでできた「われらここに育つ」と書かれた新入小中学校閉校記念碑(10)、校舎内にはニニウ付近の鵡川の絵があった(11)。学校解体された今、この絵は何処にあるのだろうか?

学校跡を通り、Y字路の交差点にかつてニニウ駅逓があったことを知らせる石碑がある(12)。
(12)
道路は、本来ならば殖民区画に沿って直線的に延びていたが、訪問時は、高速道路の工事のため、迂回路が出来ていた(13)。工事の現場の先を見るとそこには占冠トンネルの入口があった(14)。

(13)(14)

(14)(15)
工事区間を過ぎると、道は昔の区画に沿った直線路となる(14)。

直線の区間には、夢破れし開拓農家跡が眠っている(15〜18)。


(16)(17)
2001年時には建物として存在していた家も、4年後の訪問では崩壊していた。

(18)(19)
荒廃が進んだ集落跡はニニウに限らず、開拓離農地は全道いたるところにある。

開拓地跡を過ぎると、道は砂利道の狭路となる(19)。

道道136号夕張新得線 ニニウ付近 その2 ニニウ〜赤岩橋 へ


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