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ギャラリー

珍北海道紀行 ROADSIDE HOKKAIDO > 石北本線忘れられる駅

      
 

中越駅お知らせ


 中越の由来をのべるが、まず越路という地名を述べておこう。越路がルベシベの意訳(アイヌ語でルベシベとは山を越えて向こう側の土地へ下り行く路のある沢の意)で、越路は愛別、朝日町に接する辺りの場所を指し、既に完工していた北見道路の起点とも考えられていた駅逓あるところである。その駅逓から約5里の場所に、国境の中ほどの意味で中越という地名を名付けた。
 開拓は明治45年から始まったが、明治25年にはすでに駅逓所があった。駅逓とは、北見道路が開通してここを行き来する人たちに休養と宿泊の場所の提供し、宿と長途の助けとして車馬が用意したものである。ちなみに駅前には駅逓跡の碑がある。



 大正6年6月17日智来別私設教育所としが開校し、のち中越小学校となる。昭和48年3月24日廃校となり57年の歴史に幕を閉じた。昭和36年に最高80名の学徒がいたが、この地にあった蝦名林業経営の木工場が同41年に転出すると、47年には4名の学徒になってしまった。今回の旅では、小学校の跡は何処にあったかは解らなかった。

 また中越は、天幕よりも人口が多い時期が長く、昭和35年の人口(世帯)は567(106)でピーク、同40年379(98)、同45年118(39)、同55年37(19)、同60年(注1)0(0)となり無人地帯となる。
 天幕から峠に向かう道をしばらく走ると国道と平行して走る建設中の高速道路の工事事務所らしきモノが見えてきた。その向かいには写真唯一人がが住んでいたことが分かるの廃墟、そこから100mくらいのところに中越の駅が現れた。

 

 駅横には、石北線が全線開通したときに自然石に彫刻された記念碑がある。そして駅構内は、峠のふもとの駅として大きく、ルピナスと雑草に被われている側線跡がこの駅が交通の要所だったことを教えてくれた。
 

昭和4年11月20日石北西線終点として開業。 全線開通後、峠越えする為の補助機関車がこの駅で増結された。そのため停車時間が長く、駅前の雑貨店でお酒を買って列車に持ち込んだという話もある。 最近1日1往復の列車も、昭和45年の時刻表では5本の列車が停車していた。

駅の写真を撮っていると、作業着を着た二人が駅に現れた。かまわず写真を撮っていたら、話かけれた。彼らは名乗らなかったが、作業着(制服?)に開発局のマークが付いていた。彼らはこの駅が廃止されることを知らなかったが驚きもせず、ずっと人が住んでいないからしょうがないのかもね〜って答えた。そして、彼らが子供の頃は、木工所や国鉄官舎や小学校もあった話をしてくれた。

 

 そして車を上越に向けて走らせようと国道を100mくらい進むと、国道にはそれなりに立派な歩道が残り、等間隔で歩道が段になっており民家の駐車場(もちろん民家も)がそこにあったことを物語っていた。そして国道は山道になる。石北線を超えたりくぐったり、また工事中の高速道路の橋を山の上に見上げて上越へ向かう。北見峠を越える国道は上川から北見までのメインルートではないせいか平日の昼間なのに交通量は少なかった。  

訪問日は平成12年6月8日。

 

中越駅 その後


 

 中越駅跡は駅舎の入口はふさがれており、裏側に回ると駅に着いていた庇が無くなっており、またホームも取壊されていた。現在、駅は信号場として機能している。こちらには天幕にあったような駅跡の案内板は無かった。

 

上越駅 


 峠道を進み、線路をくぐってすぐ国道からダート道に曲がって坂を下る。するとつり橋の向こうに上越信号場が見えた。



つり橋を渡り、線路の方に行こうとするけれども古い池の跡がじゃまをしてすんなりいけない。この池で何かを飼っていたのか?でも厳寒期は全部凍るよな〜なんて考えつつ、線路のほうへ。ホームが無く、壊されたのか元々無かったのかどっちなんだろう?って疑問に思った。信号場となったこの駅の写真を撮り始めてさて帰ろうとしたら「快速きたみ」がやってきた。

 

人がここに住んでいた形跡が青々と茂った木々のせいか分からなかった。  

上越は、明治31年北見峠に私設駅逓(のち官設)のよって開ける。ただし上越駅のある地区ではないと思われる。  人口(世帯)は、昭和30年124(25)でピークで、同35年64(25)、同45年26(96)?(データ的に変だが、そう記載されていた)、同50年に無人の地に。上越の歴史は天幕や中越のようには分からなかった。 上越駅は昭和7年10月1日、石北本線全通時に信号所として開業した。夏は浮島峠に行く旅人、冬はチトカニウシスキー登山客の乗降に使われた。当時旭川鉄道管理局主催のスキー列車が年中行事だったこともある。
 ここは豪雪地帯であったため、冬は駅職員、保線職員が除雪、石北トンネルの除氷をしていた。

訪問日は平成12年6月8日。

天幕駅 
奥白滝駅
with白滝シリーズ



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